人間に価値なんぞ、そんなたいそうなもんありゃしない。
そんな点で、私はUG.クリシュナムルティの考え方に賛同する。
何せ、彼にかかっては、人間はナメクジ以下の最低の生物ということになっているのだ(笑)
もし、それに反対する者がいれば、対する人間の優越性を思いつく限り挙げてみるのもいいだろう。
おそらくは愕然とすることだろうが。
人は何かしら崇高なものを求める。
その先に(横たわるであろう)何か凄い真理、至高の宝石、
つまり完璧に近い球(たま)がそこにあるだろうことを夢見る
そして、あわよくば自分が──自分の実在(真我)が、そこにあるべきであり、なければならないと念じる。
だから、切磋琢磨する。
信心したり、哲学したり、瞑想したりする。
つまり、交換条件付きだ。
心の深奥での自覚しないギブアンドテイク。
俺は○○してるんだから□□になるだろう
俺は○○してるのに□□にならないのはけしからん!
俺はここまで平身低頭に神のしもべとして仕えているのだから、報われなければ神の理にあたわない
向上心、理想というものは、エゴイズムの裏返しだから、葛藤がある。
価値というとき、すでにその段階で背後にある比較対照の世界を示唆する。
比較対照こそが差別の元凶であり、自らを奴隷にしているフィルターである。
よーく考えてもみたまえ。
みな人間の想像である。
空想であり、妄想である。
鬼畜にも劣る・・そんな人間がいる。
なるほど、ごくまれではあるがそんな人間もいる。
いわゆる「人でなし」の類も存在する。
一方で、天使も微笑むような・・
ごくまれにではあるが、
そんな奇蹟のように輝く、無垢な人間もいる。
いずれもそこが基点ではない。
それは、ただそうあるだけである。
人の価値などない。
人に価値がないというのではなく、
人を価値なり人格なり優劣なりで推し量ることは無意味だということだ。
そこは、闘争の世界である。


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