物心つくころからずーっと不思議に思っていることがある。
それは、なぜに光と闇の戦いがあるのか?
古来より間断なくそれが継続してあるのか?
ということである。
だいたい、『マグマ大使』にせよ、『8マン』や『仮面ライダー(シリーズ)』にせよ、『鉄腕アトム』にせよ『鉄人28号』にせよ──古くてどーも🤷♂️💦──、どれもこれも昔から「光と闇の戦い」が描かれており、でなければ、
正義対邪
善対悪
神対悪魔
といったお定まりの対立、対決がその根底にあるのはなぜか?
という問題である。
いつも、我々人間どもは、それら両者間で右に左に揺れ動きながら、かろうじて拮抗を保っている風にも見える。
いや、分かります、分かりますよ。
なるほど、善のみ、ハッピーエンドのみで、めっぽう強い神様がいつも悪魔を足蹴にしたり、頭を踏んずけたりしていた日には、ちーっとも面白くない。
詰まらん、実に詰まらん😤
ウルトラマンが3分も待たずして、瞬時に敵の怪獣を叩きのめしてしまっていたら・・
水戸のご老公(←水戸黄門さま)が初っ端から葵の御紋を見せてしまっていたら・・
すなわちストーリー、エピソードが陳腐すぎて番組(人生)が成り立たず、無味乾燥なものになってしまう。
ハラハラドキドキこそが盛り上がるわけで、
これでもかというほどに悪に踏みにじられて、ズタボロになってもそこから立ち上がる、
そう、
ロッキーやあしたのジョーのようなヒーロー像こそが、我々が渇望する理想像ではないか!(先ほどから例に取り上げている登場人物の古さはさておいても💦)
もはやSF映画の古典ともいえる『スターウォーズ』にしてもそのテーマは明確に光と闇である。
この映画の下地になっている宇宙的な壮大な叙事詩は、我々人類の深層心理の中に眠っている”未来の記憶”であり、神智学的に言えばアカシックレコードなんだろう。
もちろん現代の文化以前に古代から光と闇の二元性をキリスト教やユダヤ教、イスラム教などではその教えの根幹に紐付けている。
さらにスピリチュアル界隈で言うところの「銀河戦争」では、何万年だか知れない気の遠くなるような歳月にわたって、光対闇の対決があったという。
もともとは天使的な存在の一部が”闇落ち”し、ついにその状況から抜け出せなくなったことなども起因しているらしい。
天使と悪魔。
スターシード、ホワイトハット、プレアデス、シリウス、一部オリオン、アンドロメダ、アルクトゥルス、アルデバランなどの銀河連合からなる光側の戦士、対する闇側の地球残留組との間の壮絶な戦争。
その代理戦争がここ天の川銀河の端くれ、地球を取り巻く恒星・惑星間で戦われ、いまはそれが大団円を迎える時期に来ているという。
詳細は各自お調べになっていただくとして、私たちは有無を言わさずに、あまりにも長い間戦禍の中にいたということを銘記すべきなのかもしれない。
○○Vs.□□
という図式が潜在意識の奥底まで刻まれてしまっており、それが自ずと当たり前なことであるかのように思ってしまっているのかも・・。
なぜ、光は闇と戦うのか?
同じく、なにゆえに善は悪を、悪は善を必要としなければならないのか?
どーして神は悪魔を代償にしなければならないのか?
そのあたりを静かに考えてみなくてはならない。



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