米がコメに、そしてライスになって

2026年5月10日

スピリチュアル 情報 問題

t f B! P L
 日本の植民地化は完了したか?


noteに、相変わらずあまり読まれないようなこのような記事を投稿したわけだが、


だからというわけでもないが、この国が戦後大きく変わってしまったのは、ひとつには「言霊」の影響があるんではないだろうか?

そんなことを考えてみた。

例えば、「米」。
これは絶対にライスではない。
ありえない。

ライス国務長官=コンドリーザ・ライス

そんな風に感じる方もおられるのではないだろうか?
なぜなら、それは単なるなま物、食物、物質、澱粉、栄養素ではないからだ。

それは伝統やそれにまつわる血と汗と労働に支えられた歴史があり、
そしてなによりも

精神

があるからだ。


例えば、握り飯がなぜに「ライスボール」的な軽薄かつアメリカンなネーミングで代替え出来ようはずもないではないか!

SAKEやTEMPURAなどと同様、それは「ONIGIRI」とか「NIGIRIMESHI」として英語で登録していただきたい。

ONIGIRIがある生活、ライフスタイルと、
RICE BALLがあるそれとでは、
まったくの別物と言い切っても問題ないだろう。

前者には食後にほうじ茶が必須だろうし、
後者は下手をすると、食中にワインなんぞが出る可能性、または危機すらあるではないか。

ほかにも、

米ぬか→Rice bran
米麴→Rice koji

と、苦し紛れの横文字もあるようだが、
ここで浮上してくるのが、

それでは、
カレーライス
または、
ライスカレー
はどういった扱いになるのか?

という問題だ。

結論から言えば、そこにある「ライス」は、もはや「米」でもなければ「飯」でもない。

勘当だ!

そうした血族から飛び出してしまった不肖のせがれ、あるいはアメリカ国に嫁いで帰ってこない末娘みたいなもので、あきらめるしかない。

それは、「かつ丼」がそれ単体で一つのジャンルを構築しているように、「カレーライス」もしくは「ライスカレー」としての世界観があり、それは米文化とは異質、または特異な進化を遂げたものであって、よって別物としてみなす以外にない。

あれ?
論旨がずれているようですが、要は普段何気に使っている外来語と同時に、元来この国に根差した言葉をあちら読みすることで、なし崩し的に伝統文化を根絶やしにしていやしまいか?

という一つの危惧である。


※それにしても、この※を「こめじるし」という上に、「米」と書いて「ベイ」、さらに「米国」とかいて「ベイコク」と読ませるのはなんだか陰謀ではないか? 的な深読みもできてしまうから怖いですな。=5月10日付記





このブログを検索

ラベル

Translate

連絡フォーム

名前

メール *

メッセージ *

QooQ