「で?」と「はい」

2025年3月2日

雑感 身辺雑記 問題

t f B! P L
 何気ない言葉が、相手に対して失礼に当たることもある。
それどころかダメージを与えさえすることもある。

たとえば、「で?」という言い方は、いろいろとひとの心を揺さぶる。
おおむねそれは「その話の着地点はなんなの?」という意味でつかわれる。

「それで、結局は何?」
「何が言いたいの?」

のように。

実際、(女性に多いように思われるのですが)話が迂回しつつ、そこでまた違う方向に行ってしまい、結局何を話したかったかすらも自ら見失ってしまうような会話もある(中川家がコントにしたら面白そうな)。

「そうそう、そうなのよー、でね、あたしもあそこの店に行ったの、え? あそこよあそこ、あのコンビニなんてったかしら、そう、サンクス系サークル、あったでしょう? え? サークルK? え? サンクス? どっち? まいいわ、そんな感じの奴。なんか、「びっくりドンキー」と似てない? 「ドンキーコング」と一緒になっちゃってる人いるの、あれって笑えるわよね、ああ、そういえば思い出した。昔ダンキンドーナッツってあったわよね、あれって今もあるの? そんなことじゃなくて、昔あったあそこのサークルの角を曲がって、左側にあるイタリアンよ。そうそう、ちょっと古めかしい造りの、あたしアンティーク好きじゃん? だからついあの店に寄っちゃうんだけどさ、え? ミラノに行ったの? なんでそれ黙ってたのよ、あたしも・・」(拙稿;Note『【女性賛歌】女神は始めからそんなこと全部知ってるよ!』より抜粋)

まあ、上記は極端にせよ、そういった方を時折見かける。
用件を先に話せばいいのに、そこまでの状況描写から長々と説明し始めるタイプ。
(新聞記事は、まず何がいつ、どこで、どーしたから書いて、後でそれを敷衍してゆくからこそ読者は見出しだけでも概要が分かるが、まさにそれの反対を行く)
この場合は、用件は何かを急ぐのは当然だろう。

しかし、だからと言って「で? ご用件は?」はまずい。
言われた側としては癇に障ることもある。

この場合の「で?」は、「ところで、そんなこと(前置き)はいいから」みたいな相手を突き放した高慢な物言いだ。

「こちらは今忙しいのだから、言いたいことがあったら早く言ってくれないかなあ、申し訳ないんだが、君とはかかわってる時間があまりないんだ」

といったニュアンスが含まれるからだ。

また、遠回しに相手の欠点などを話してはいけない。
もし言うならば、単刀直入に言うべきだし、そうでなければ話さないほうがいい。

たとえば、ハゲとかヅラとか何らかの負い目を感じている人の前で、とかくそうした話題になってしまった場合、会話は何か婉曲な表現になるものだが、これでは相手はかえって傷つくだろう。

そこで、相手から「で?」が来たときは、すでにやらかしてしまった時である。
完全に”怒り心頭に発す”で、つまり心の頭にまで影響してしまう。



ほかにも、その一言が、相手に意外なダメージを与えることもある。
たとえば、「はい」という言葉。
「はい、という素直な心」みたいに一見それは、純粋ですこぶる良い言葉に思われるが、これもなかなかに曲者である。

何かの会話の最中に、その相槌を多用しすぎると、「なんだこいつ人の話をまともに聞いてないんじゃないか?」とか、「馬鹿にしてんのか?」などと思われる。

また『相棒』の右京さんがしり上がりに言う「はいぃ~?」は、なんとなくその中にゆるい憤怒をうかがわせる。
それを言われた側に「なにかまずいこと、失礼なことを言っちゃったのかなあ?」なんて思わせるからだ。



ところで、それとはまた異種の「はい」もある。
これは、むしろ排他的な「はい」で、心理的には先ほどの「で?」に近い。

実は、私が通う床屋のマスターが、それを多用する。


ハイ!

そのイントネーションというか抑揚が文字では伝わらないのが悔しいが、床屋さんが散髪から髭剃りまですべての作業を終えました、仕上げのドライヤーもかけ終わりました、白い上っ張りのようなガウンもとりました、ブラシで衣類などにまだ付着しているかもしれない切った髪の毛を掃いました・・・
そこで、最後に一発入るあの力強い「ハイ!(終わりました)」である。
そう、あの「ハイ」である。
正確には「ハァア~イ!」(ワカリマスカ?)である。

それは、言われた側に有無を言わせない強さがある。

しかし、その最後の「ハイ」であるだけならケッコーなのだが、こちらが何かを話しかけようとした際、それを受けて「そうですねー」とか応えればいいものの、それが一切なく「ハァア~イ!」とまとめられてしまう。(彼が、悪意的にそうしているのではないことに注意=その証拠に、笑顔だしそのトーンは爽やかで清々しい)

かみさんにその話をしたところ、昨今の美容院でも世間話や身の上話を嫌うお客さんも多く、あまり立ち入った会話は好まれないらしい。事前に「あまり話しかけないでほしい」みたいなアンケートがあったりするとか。

それにしても、数回通っているその床屋は、コミュ障かと思うくらいにあまりにもそれがなさすぎる。
記憶するだけでもそこでの会話は最初の「(髪型は)どうされますか?」と、散髪の途中少し首をずらしてもらいたい旨を促す「ハイ」と、最後の会計と、「ありがとうございました」のみで、世間話はおろか、「お近くですか?」などと聞かれたことが一切ない。一切入ってこないし、また入らせない。何度も顔を出しているのにだ。

こちらのことを聞かないということは、そちらのことも聞かれたくない(笑)のだろうが、普通、世間一般的に多少店のことは知りたいし、まあ社交辞令的な挨拶的な会話も欲しいではないか?
「このお店って、もう長くおやりになってるんですか?」とか。
(この節、AIだって、アレクサだって、Siriだってその程度のことは言う)
しかし、そんなことを聞いてはいけないムードが漂っている。

私はそれが面白くなって、その「ハイ」を真似しては我が家でマイブームにもなった。
以前に会計の際に「え? お安いですねえ」とか愛想の会話を投げたが、やはり例の「ハァア~イ!」が返ってきた。
それは、もちろん「返事」ではない。
余計なことは言うな、みたいな(笑)。
「はい、それはいいから、次行ってみよー」みたいな・・。

さすがに先日は実験も兼ねて、「いや~、ついつい無精をしちゃって、なかなか足が伸ばせなくって・・」と、わざと振ってみた。
やはり答えは、

「ハァア~イ!」

である。





後記【問題があれば答えがある】

さて、このように「で?」や「ハイ」は、相手に対しては失礼になる場合もあるが、自分に対しては必要な姿勢かもしれない。
それは物事の「深度」というか、判断基準を決めるのには必要な態度であり、また問いかけだろう。
特に、自問自答する場合などには。

たとえば、私は昨今のCMなど、とりわけ流行りのウケ狙いのそれはちっとも面白くない。
あまりにも商業的な安易な作為が見え見えで、目を逸らしてしまう。
言いたくはないが、くだらない。
「くだらなさ」自体は悪くはないと思うのだが、それは過去にあったものの蒸し返しであって、何らの新味もない。

それこそ「で?」と言いたくなるものがほとんど。
「ハァア~イ!」と打ち切ってしまいたくもなる(笑)。
(過去の自分だったらあるいは面白いと思えたのかもしれないが、やはりそんなことはなくおそらくは質が落ちているんだろう。でもそれが面白いと思っている人も少なからずいるわけだ)

これは自分の書いたものにしてもそうだが、著名人のものにせよ、流行りの哲学なり論評なりにも通ずる。
そこには一応「○○である」という主張、落としどころがあるからだ。
つまり、そこでは何らかの問題が「解決」したことになっている。

しかし、実はそこでまだ終わっていない問題があったりする。
いや、すべてがそうなのかもしれない。

当人にとっては、さも満足で、鬼の首を取ったかのようにそれを書く。
たとえば「人間とは考える葦である」とか、「馬鹿になりましょう」とか。

それに一定数の人々が腑に落ちれば、何か一件落着したかのように見える。
しかし、そのような「定説」とかにすらにも、同様の目線は必要だろう。
満足しないで一蹴してみる姿勢だ。

「ハァア~イ!」理屈はいいですよ。
「で?」その先は何ですか?




私たちは、問題があれば結論を導き出そうとする。

問題があれば答えがある。

答えを急ぐ。

答えを導き出す。

これが当たり前の図式だが、ここでは問題を吟味していない。
問題は、問題にある。

しかし、それを疑う人はごく稀だ。
つまり、私たちの多くは、従順に問題を受け入れてしまっている。

個々の問題に対して答えを出す。
それは条件反射であり、またマンネリズムでもある。

しかも、その答えはその特定の限られた問題に対するものでしかない。
だから、際限なく問題は湧いてくるし、私たちはそれの対応(答えを出す)ことに振り回される。
それで一生を終える。

つまり、普通に「答え」と言っているもの、「結論づけているもの」は、あくまでも仮のものであって最終的なものではない。


「で?」

全的な答えこそが必要である。
ということは、全的な問いが必要である(今日でいうラスボス的な?)

「ハァア~イ!わかりました。了解です」

「で?」

その先は?














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