或る阿呆の一人語り【第三部 心は神話である】

2025年5月22日

クリシュナムルティ スピリチュアル 真理

t f B! P L

 

その序文が振るっている。

私の教え(もしそう表現したいのであれば)には著作権はありません。私の同意や誰かの許可なしに、複製、配布、解釈、誤解、歪曲、改ざん、その他何でも自由に行い、著作権を主張することさえも自由ですUG──『Mind is a Myth(心は神話である)』扉

【第三部】心は神話である

前回、すなわち「非二元という二元」の「付録」として紹介したU.G.クリシュナムルティの断片的な言葉に面食らわれた方もいらしたでしょう。
取り付く島がないといいますか、
どこにも救いがないわけです(笑)

JKからUGへ──クリシュナムルティの突然変異


私はなにも奇を衒ってこのような言葉を羅列したのではありません。
そこに(直感的に)何かしら惹かれるものがあったから、それに促されるままに記載してみたのです。
後に分かったのですが、前回引用させていただいたのはUGの言動をまとめた『Mind is a Myth』(心は神話である)という著書からのものでした。

MIND IS A MYTH=Amazon


上記書評は秀逸なものだと思います。
U.G.クリシュナムルティは、何ものにも与しない。
自分にすら何らの価値を与えないから、個がない。

いかに虚無主義者であっても、実存主義者であっても、人はどこかに”秘密の花園”的な最後の砦を設けているものです。
彼の言葉は、そこを目がけて飛び込んできます。
あなたがそれを防御しようが、抵抗しようが、降参しようが・・むしろそこから新たなあなたが生まれるべきところかと思います。

彼は生前著書を残していません。そればかりか、彼自身公言しているように自らの著作権を主張していないことで、このように今日様々な出版やYouTubeが溢れ、人気が上昇しているようです。

お断りしておきますが、私が惹かれたのはその文章がトリッキーだからでも、破壊的で面白いからでもありません。
そこに、完膚なきまでに伝統を切り捨てた前代未聞の世界を垣間見たからです。

よく見かけるように「あなたはすでに救われている、あなたほど美しい存在は宇宙にはいないのです」的な戯言は、あなたをさらなる迷妄の世界に導きます。そこにあるような似非の慰みなどは微塵もないばかりか、この著者は「私の教えを読んでもあなたは救われない」と畳みかけてくる。
これは、私たち自身がその周囲に描いているイメージという迷妄を取っ払い、自分自身で立つことを促しているわけで、この点、その優しさはJK(ジッドゥ・クリシュナムルティ)と似ている。

事実彼は自ら80%はJKと同じことを言っていると語っているが、まずは伝統的に積み上げてきてしまった既存の「教え」を徹底的に潰し去ってからではないと、事は進まないからです。
それでは残りの20%の差異は何か?

そこが、期せずして同じクリシュナムルティを名乗るUGとしての突然変異なのかもしれません。

「私には教えはありません。いかなる主張もしません」

JKについては、第二部(note掲載)でその人物と思想の乖離を詳説しましたが、はてさてUGについてはどうでしょうか?
JKをたたき台として見てきたからではなく、そもそも彼にはJKのような死角がないことがお分かりかと思います。
探究はもとより、発見するべく真理もなければ、そこに彼がいようといまいが無関係であるというスタンスだからです。

彼は、「非二元」を根幹にしています。
「非二元」というとき、あなたはどういう人物像を思い浮かべるでしょうか?
聖人君子がまず先にはじかれなければならないことはお分かりですね。
それが平和であっても愛であっても、そうした理念に基づいた偉業を成したようなものもはじかれます。


U.G.クリシュナムルティ

前述したように、UGに関わる著作には著作権がないので、無料で読むことができます。
この『MIND IS A MYTH(心は神話である)』はじめ、その他彼の著作(のちに編者がまとめたもの)は以下のWikisourceで全文閲覧できます。
お時間がありましたら、ぜひ全文をお読みになることをお勧めします。
(私がお勧めするなどということはごく珍しいことですので(笑))

下は出版社(ディネッシュ出版)による、U.G.クリシュナムルティの生い立ちから哲学までの解説になります。上は本文のみでこの部分が割愛されているので、まずこちらからお目を通してください。

愛し合うことは戦争である。因果関係は混乱した心の口癖である。ヨガや健康食品は体を壊す。不滅なのは体であって魂ではない。ロシアには共産主義はなく、アメリカには自由はなく、インドには精神性はない。人類への奉仕はまったくの利己主義である。イエスもまた誤った教えを受けたユダヤ人であり、仏陀は変人であった。人類を救うのは愛ではなく相互恐怖である。教会に行くこととバーに飲みに行くことは同じである。あなたの中には恐怖以外何もない。人間同士のコミュニケーションは不可能である。神、愛、幸福、無意識、死、輪廻、魂は私たちの豊かな想像力が生み出した存在しない空想である。フロイトは20世紀のペテン師であり、J. クリシュナムルティは20世紀の最大のペテン師である。 UG

宗教戦争と言われるものだけでも、少なくともこれまでに人類は1000万人以上の死者を出してきました。実際にはおそらくそんな数では収まらないことでしょう。
通常の戦争を含めば、その数は天文学的な数値でしょう。

まさに、「人の命ってなに?」状態が現実です。

これまでに、それらの戦火を食い止めようとしてきたさまざまな施策は、かえって薪となり、その炎に力を与えてきただけです。

宗教が無ければ宗教戦争はない。
民族が無ければ民族紛争はない。

子供にもわかる道理です。

人道主義やら博愛精神、愛、隣人愛──その陰でどれだけの悪が暗躍してきたことか。
神の仮面をかぶって悪魔がどれだけ跳梁跋扈してきたことか。


私たちの周囲に築き上げてきた幻想・妄想を注意深く取り去っていくとき、そこにUGの語る”手の施しようのない真実の世界”が広がっているのが見えてくるのかもしれない。

終わりに

お疲れ様でした。
本編はnoteに掲載した第一部、二部に続く第三部として、前回に引き続きU.G.クリシュナムルティにスポットを当てたものです。

カメラ、マイク、録音セットを前に、身ぎれいな格好で識者たちと議論を交わす紳士・ジッドゥ・クリシュナムルティ。
片や普段着のまま、ソファーに寝転びながらうわさを聞き付けた人々に受け答えするU.G.クリシュナムルティ。

前者は第二部で触れたような経歴の人物。
後者は、世間的にはアウトサイダーであり、放蕩に明け暮れ、ジャック・ケルアックを彷彿とさせるような人物。

当然乍らあなたはあなたで、そんな彼らの外面・虚像に左右される必要はありません。
また、彼らの言説をメモに取って「資料」にする価値はおそらくゼロです。

そもそも彼らから得るものではなく、あなたが得るものでなければ無意味でしょう。






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