令和の散切り
あなたの向かいに座る彼の髪型は、いかにも「散切りアタマ」である。
「令和の散切り」
いいではないか?
ラフで、自然なまとまりが今風だ。
なんてったって、維新の当時の伊藤博文はじめ高位高官もこぞってその髪型を取り入れたくらいのスーパートレンディなそれだ。
今度床屋で「どうなさいますか?」と聞かれたら、迷わず「ザンギリ!」と言ってみよう。
おっと、古い話ですって?
たかだか150年やそこら前の話です。
下手をすると、あなたはまだちょんまげを結って、籠に乗って吉原辺りに遊んでいたかもしれないわけで、、。
それを遥か昔というのであれば、携帯電話やPCが普及しだしたのだってわずかに30年ほど前のこと。
AIの普及はこの15年ほど前からだ。
それでも「古い」ですか?
何の話かって?
現今に繰り広げられているこの「文明」のことである。
この全世界をグローバルに包み込むかのように見える文明は、どー見ても私たち東洋人にとってみれば、「舶来」のものだ。
そう、これは
白人文明の終焉
についてのお話だ。
白人によるいわゆる現代文明の特徴は、そのスピードにありはしないだろうか?
その端緒が18世紀後半の産業革命であったにせよ、それはあまりにも早過ぎはしないだろうか? とりわけ今世紀に入ってからのそれは、AI、AGIの登場により幾何級数的に進展し、もはや先が見えない。
通常、文明は1000~3000年は続く。
それが、この現代文明は、まだたかだか200~300年程度。
おっと、まだまだ続くというのであれば問題ないと思うのかもしれないが、どうだろう。
この文明のわずかな期間に、スターリンの大粛清、ルワンダ大虐殺、アウシュビッツ、東京大空襲、ヒロシマナガサキ、311・・それらがあった。
もちろん、第一次世界大戦、第二次世界大戦はじめ、局地戦争は数知れない。
それらの武器は、現代の誇るべき工業・科学文明の寵児ではなかったか?
それがあと1000年も続いた日にはこの地球はもはや存在しないだろう。
この文明には「しなやかさ」「恥じらい」「優美さ」「女性らしさ」「可憐さ」というものが全き欠如している(かのように見える)。
代わりに、「効率」「合理性」「スピード」「正確性」「功利主義」「即物主義」が幅を利かせている。
スピリチュアルで言っても、現実世界を見ても、いよいよ私たちにもっとも身近な、ある種の文明が終わってゆく予感・・先にそんなことについて書いた。
終焉を迎えたものが西洋文明なのか、物質文明なのか、もちろん早計には断定できない。
ただ一つだけ言えることは、それが「暴力」を伴うものであることだけは確からしい。
さしずめ、「剣によって立つものは剣によって滅ぶ」ということである。
なぜ、それが分かるのかというと、おそらく現在この地表の住民の誰一人とてこの文明の恩恵にあずかっていないものはいないからである。
あるものは、ひねもす複数台のPCを睨み、マネーゲームに打ち興じ、
またあるものは、下請け、孫請けを脅したりなだめたりしつつ、私腹を肥やすことしか頭にない。
それらを悪いとは思わない。
むしろ、正しい。
なぜなら、それがこの文明の正しいあり方だからだ。
しかし、ほぼ人類すべてが一つの怖れを胸にしていることもまた事実だ。
それは、この文明の屋台骨はぐらつき、もはや瀕死状態であることに、大かれ少なかれ誰しもが感じているからだ。
もちろん、この文明に身をゆだね、その暴力に目をつぶり、享楽という蜜を吸って生きている私たち全員を指す。
その文明はなぜ暴力が不可避なのか?
では、なぜ「暴力」と「文明」はセットになっているんだろうか?
その文明が一歩前進するたびに、何かを犠牲にする。
食肉産業のために森林を伐採し、工業製品の製造のためには河川を汚してきた。
それは暴力ではないのか?
いったい過去に「平和」と「文明」が手を取り合っていたものはなかったのだろうか?
あったにせよ、それすらも「暴力」に駆逐され潰えてしまったのだろうか?
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『スター・ウォーズ/新たなる希望(エピソード4)』 |
さて、この手の問題を考えるときに、歴史を紐解いて、検証データを云々しても始まらない。それは、これまであったような単なる「解説」になってしまうからだ。
むしろ、自由な少年少女的な発想がなにかそこに一石を投じることがあるかもしれない。
私には、そんな意味で長いこと疑問に思っていたことがある。
(ここに挙げる事柄は、あくまでもそうした説があるというにとどめる)
- この宇宙はスターウォーズに象徴されるような、スペースオペラ文明による覇権争いが常である
- この銀河系に絞ってみても、少なくとももう何十、何百万年前から争い(抗争)があった
- その争いは光対闇とされる(なぜ、光対闇なのか?)
- それがそのまま地球でのアトランティス文明などに投影され、しかもそこで壊滅的な代理戦争を巻き起こした
- 光側にせよ闇側にせよ、他の惑星を植民地とすることに抵抗がないように思える
- これらのことが事実であったとすれば、それはなるほど今日に至るまで地球上に戦争が絶えない事と無関係ではなさそうだ
- これら情報がほぼ西洋からのものである点に注意したい。そこに東洋のものがもしあったにせよ、謂われるような物理的な戦いとは異質なようにも思える
- よって、ここで取り沙汰されるべきはいわゆる白人文明でのナラティブであり、私たち東洋人は外様ではないのか?
- 雑駁な印象によるものではあるが、我々と白人の生理的、肉体的、精神的な気質というものはことのほかに違う。両者にはもちろんそれぞれ長所・短所があるものの、白人のそれで決定的なのは暴力的ということではないだろうか?(兵器の進化に見るように、彼らの発明は暴力か、さらなる暴力である)
主人公は”白人”ではなかったのか?
上記は、ずいぶんと子供じみた偏見にあふれていそうに見える。
なんだか子供がすべてをA君のせいにするように、”白人”のせいにしている風だ。
そこに、逆人種差別的な心理もあるだろう。
だからこそ、とりわけ彼らによる支配、統治国家の民は、悶々としてそれを口外しないできたのではないか?
完膚なきまでに撲滅されてきたネイティブアメリカンは、いまや居留地に追いやられ、かろうじてその民族性を保っている。
(今どきはないだろうが)白人坊やの遊びにとって、それこそ鬼のように映ったであろうアパッチの逆襲である。
子供の彼には、まさか彼らこそが先住民であり、自分たちはそれらを根絶やしにしようとしている側だなんて知らなかったろうし、長じて知ったにせよ、今度は多くを殺戮することが彼らの「名誉」となり、国益となるといった風にすり替えられていった。
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インディアンを追撃するアメリカ騎兵の想像図=Wikipedia |
そう言った意味での「白人」である。
「彼らの行くところ必ずや血の雨が降る」
そんな正直な感慨が、世界の有色人種の本音だ。
事実、インディアン戦争でのインディアンの死者数は(畏れ多くて?)詳らかになっていないが、実際は1000万~数千万人に近い数に上るともいわれている。
私は、この戦争(ジェノサイド)でのヨーロッパ白人らの所業こそ、絶対に許されない人類最悪の蛮行であって、コロンブスに始まり、それらを積極的に推し進めたリンカーンはじめ歴代大統領などは、人の屑だと思っている。
「インディアンは害獣、黒人は家畜」
が当時のプロパガンダであったらしいから、心胆おそるべしである。
その彼らのパーソナリティは、もちろんそれで終結したわけではなく、その後も歴史に悪名を刻む。
言うまでもないが、ヒロシマナガサキの原爆投下はその代表例だ。
そう、今は表沙汰、現代文明の凋落という事態の影で、実は白人の”業”というものの清算の時なのかもしれない。
もちろん、我々有色人種(とは、白人側の謂いであろう)でも様々であって、どちらかと言えば暴力的な民族もいるだろう。
また、ここで「白人」と大きく括ったが、その中でも民族的な差異はたくさんあるに違いない。問題は、空気のように戦争を常としてきたような血統である。
となると、ここで言う「白人」とは一体何だろう?
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小さな羽虫さえ殺さずに逃がすような心根の 私たち東洋の民に、果たして核戦争という選 択肢が可能だろうか? |
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映画『スターウォーズ』や『スタートレック』は、私たちの 潜在意識に刻まれたリアルな銀河戦争の物語であるという説 もあるが、どうだろうか? 映画の影響もあるのだろうが、 「銀河戦争」そのものが白人のルーツにも思えてしまう。 |
悪魔教奉斎 幼児性愛吸血 ハザール人という人ならざるもの
最後に、この事実を書いておかなければならない。
ハザール人という存在についてだ。
一般の歴史書ではハザール人の来歴は、はっきりしない。
ハザール(カザール:Khazars/Kazar)は7世紀から10世紀にかけて黒海北部からカスピ海、コーカサスにかけて繁栄した遊牧民族の国家とあり、民族ではなく宗教によるユダヤ教(アシュケナジーユダヤ)を奉じたとある。
ユダヤ教はスケープゴートであるから、彼らによって汚されただけである。
私の知るところによれば、彼らは悪魔教を信奉し、幼児を交えた血の儀式を行う。
英国王室から、米・ピザゲート事件などに片りんを見せるそのシンジケートは、全世界に広がる。
ここから先は、オカルト的な知見が必要なので、その辺の探究をされている方はご存じかも知れないし、既存の学問に拘泥するものは失笑するだけだろう。
彼らは地球由来の生物ではなく、今日でのウクライナに多く潜んでいる。
一説には、ネアンデルタール人の起源になったというのもある。
とんでもなく狡猾で凶暴な生き物である。
まさに、プーチンが容赦なくやろうとしていることはそれの殲滅である。
B・フルフォード氏らは、「ハザールマフィア」という言い方をするが、彼らこそ、いわゆるディープステートのさらに奥の院に存在する悪の中枢ともいえるのだろう。
そこには、ロスチャイルド、ネタニヤフなどお馴染みの名前が連なる。
私は若いころ、「ユダヤ陰謀論」なる、実は彼らによる隠れ蓑に振り回されるという失態をしたようだ。
ここで触れた、「白人文明」の裏にはきっと彼らがうごめいている。
彼らは、ユダヤ教同様に、「白人」を根絶やしにしたいのかもしれない。
南北戦争にも、ここで触れたインディアン戦争にも、彼らがいる。
ぜひあなたにその辺を調べてもらいたい。
彼らであれば、いかに残虐な行為でさえも平然とするだろう。
そういう意味で、彼らに浸食された「白人文明」は終焉を迎えなければならない、ともいえる。
付録 童謡『10人のインディアン』の原曲の怖さ
一般的には、このようにシンプルで明るく歌われてきた童謡だが、
これは、音調こそ違うが、その原曲になる。
下に記載したおかしな歌詞を事も無げに歌っているところが、背筋を寒からしめる。
原曲の歌詞と意味・和訳(意訳)『Ten Little Indians』作詞・作曲:セプティマス・ウィナー(Septimus Winner)10人のインディアンの子一列に並んでた一人家に帰って9人になった9人のインディアンの子が門にぶら下がってた一人落っこちて8人になった【コーラス】1人、2人、3人4人、5人のインディアンの子6人、7人、8人9人、10人のインディアンの子<以下、コーラス部分は省略>8人のインディアンの子が楽しそうにしていた一人眠って7人になった7人のインディアンの子がいたずらしてた一人が首の骨を折って6人になった6人のインディアンの子はみんな元気だった一人がくたばって5人になった5人のインディアンの子が地下室への入り口にいた一人転げ落ちて4人になった4人のインディアンの子が酔って騒いでいた一人が酔いつぶれて3人になった3人のインディアンの子がカヌーに乗った一人が水に落ちて2人になった2人のインディアンの子が銃にいたずらしてた一人が撃たれて1人になった1人のインディアンの子は寂しくなった彼は結婚したそして誰もいなくなった
※アガサクリスティーの作品『そして誰もいなくなった(And Then There Were None)』はこの歌が翻案となっている。
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