つまらない人

2025年12月6日

教育 雑感

t f B! P L
 つまらない人、というものがある。
どんなに美男、美女であっても、あなたのお相手がこの「つまらない」人であった日には百年目。
どーにもつまらないのである(笑)。

「じいちゃん、おもしれーべ?」

あなたがもし未婚で、今後伴侶をつくられる覚悟? がおありであれば、そのお相手選びで絶対に避けなければならないのはこの「つまらない人」である。
容姿や性格などの優劣はまだどーにでもなるし、そんなもんはいくらでも嘘が付けるうえ、どーせ当てにならない代物でしかない。
第一、仮にそれら外的条件が完璧であったとすれば・・私に言わせれば、そのこと自体からして「つまらない」ではないか?

では、お笑い芸人のように「面白い人」であればいいのか?
といえば、これがまた違う。
面白いのが日常茶飯であれば、疲れてしまうし、やがて飽きるに決まっている。

うーむ。
となると、面白くない人=つまらない人
でもないらしい。

行き詰まっちゃった「詰まらない人」


ではそもそも、つまらない、すなわち「詰まらない」とは何ぞや?

「詰まらない(つまらない)」とは、面白くない、退屈である、価値がない、しょうもない、くだらないといった意味で、心が惹かれず、感動や満足感がない状態を表します。語源は「詰まる(動けなくなる、行き詰まる)」から派生し、「納得できない」という意味で使われ、現在の「面白くない」という評価につながりました。──グーグルgeminiによる

 なるほど、この場合の「面白くない」の内訳は、

退屈で、

無価値で、

しょうもなくて、

くだらなく、

心惹かれず、

無感動・不満足で、

それらもろもろが「納得いかない」から

「面白くない」

わけで、

しかもその語源から言えば、

動けなくなるほどに、

行き詰ってしまった

という前提条件すら浮かび上がるわけだ。


「それって別に面白いだけだし」


真面目でいい人では詰まらん?


これら記述は、単に上記AIによる解説をなぞっただけだが、そーとーにインパクトがある気がする。
「動けなくなる」というのは、あまりにも外している様を見て「固まってしまった」的な意味だろう。
また「行き詰って」については、
「行き詰ってるんだから、そいつは詰まる人じゃないか⁉」
などという固いことは言わず、そういうことなんだそうである。

これが、つまらない人たるの解説であるわけだが、
そのご当人に向けて一気にこれを語ることは、あまりにも酷い”言葉の凶器”ではあるまいか?
別れ際に、女性がその男に向けて、

「あんたなんか退屈でちっとも面白味がないのよ・・というのも、初めて会った瞬間から動けなくなるくらい行き詰ってしまったからよ」

などと言おうものなら、男は泡を吹いて卒倒してしまうかもしれない。
「男を殺すにゃ刃物は要らない」である。

さらに付言すれば、その「つまらない人」は、とかく真面目でいい人が多いもんだから困ったものである。
しかし、その真面目さ、いい人加減が、またこれっきし癇に障るんですね。

勘違いされたくないのは、私はそういう人たちすべてが嫌われると言ってるのではない。
そうした癇に障る要素を持ったいい人加減、とでもいうべきか。

「空気が読めない」という言葉がはやりましたが、まさにそれ。
発言はごく道徳的で常識的で、すでにどこかで何度か耳にしたような文言が躍る。
決してそれを掘り下げるようなことはせずにしたり顔をしている。

どっちにせよ、自分の意見でも何でもないし、酷いときは最大公約数的な意見で決め打ちする。

詰まる人とは変化する人

さて、これらのことから「詰まらない」という意味の外殻は分かったような気もする。
少なくともそれは、男たるものの受ける最大の屈辱であるのかもしれない。
おそらくは、「嫌い」「性に合わない」などのネガティブな反応など比べ物にならないくらい辛辣なものだ。
それらの言葉には人間相手の感情があるが、そんな憎悪の感情すらなく、妙に冷め切っており、ひたすら相手など眼中になく、うっとおしいのだ。

「横顔はイケてるだろ?」


なんの不憫もない恵まれた家庭生活。
夫婦関係も円満で、子供達にもきちんとした教育を与えている。
これといって不満はない。

しかし、そんな順風に見える環境すら、ときに不条理な人間の色眼鏡は、「詰まらない日常」という風景に見方を変えてしまうこともある。

そうしたテーマは、文学や映画でもよく扱われたりする。
たとえばカトリーヌ・ドヌーブ主演の名画『昼顔』にせよ、キューブリックの遺作『アイズワイドシャット』にせよ、どちらかといえばそんな恵まれた環境の中での主人公が、よりによってアブノーマルな世界に足を踏み入れてしまうといったストーリーだ。

その下地には、平凡な日常があったと言えばなんだか文学的な表現だが、実際はその日常を演じるなかでの欺瞞や、道徳や教養、とりわけ宗教といった重圧、縛りが、その当人や家人をいびつで詰まらないものにしているのだ。

だから、そんなものへの抵抗がある。



それでは、詰まらない人ではなく、大いに詰まる人とはどんな人なんだろうか?

生涯の話し相手になれる人。
何でも相談できる人。
何でもよく知っている人。

そのような”教科書的”な回答もあるだろう。

私は次のように考える。

予想外な人。
常に新しい風を吹き込んでくれる人。
いい意味で期待を裏切ってくれる人。

彼は、彼女は、生涯あなたを飽きさせないことだろう。
変化する人には「どん詰まり」がないからだ。
だから、何ものかに縛られることもない。










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