ゲージツ家というものになってみたいと思ったことがある。
十代のころがその意志たるやピークであった。
「三島由紀夫はあの『花ざかりの森』を17歳で書いている。自分もそれに匹敵するものを書かなくては・・」
笑わないで聴いてほしい。
その頃は夭折の天才があこがれだったのだ。
しかし、20代も後半になって、(間違って)結婚なんぞをし、一応、かろうじていっちょ前の会社人間として生き、所帯を持ち、子供ができたりすると、ゲージツ家どころか手品師にも、曲芸師にもなれない自分に気がついた。
夭折の天才詩人だか、画家だかはいったいどこ行った?
ってなあんばい。
ではそれはよかったのか悪かったのか?
良くも悪くもあった。
まず、ゲージツ家という種族には絶対になってはあかん。
同時に、サラリーマンという情けない選択肢もあったもんじゃない。
そんなところからの回答である。
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| 陸たりがたし・・・ |
第一に、なぜにゲージツ家は駄目なのかというに、
それは陸でなしだからだ。
陸ではないと書いてロクデナシと読む。
その心は、陸の如く水平で真っ当ではない状態だからである。
「ろくでなし」とは、のらくらしていて何の役にも立たない者や、まともに働かない道楽者を指す言葉です。語源
語源は漢字の「陸(ろく)」に由来します。
- 「陸(ろく)」の意味: 本来は「土地が平らなこと」を意味し、転じて「物事が水平で正しい」「まともである」「きちんとしている」という意味で使われるようになりました。
- 建築用語としての「陸」: 建築現場では水平であることを「陸(ろく)」と言い、水平を出す作業を「陸を見る」と呼びます。水平(当たり前の基準)が保てない不完全な状態を「陸(ろく)ではない」としたのが始まりです。
- 言葉の成立: 「まともな(陸)状態ではない(でなし)」が組み合わさり、人間に対して「まともな基準に達していない者」「役に立たない者」という意味で使われるようになりました。
補足
- 漢字表記: 「碌でなし」と書かれることも多いですが、「碌」は当て字です。
- 類語: 「ろくでもない」も同じ語源からきており、「まともではない」「価値がない」といったニュアンスを含みます。
Geminiによる
実にゲージツ家はほぼ総じてロクデナシである。
陸たりえない沼のようなものだ。
揃いもそろって陸でなしなのだが、中でも、この人物はほとんどヤバい。
「はたらけど はたらけど猶(なお) わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る」。
正直、この一句くらいしかこの歌人の歌は口をついて出てこないが(ん? ”われ泣きぬれて 蟹とたはむる”という女々しいのもそうだったかな)・・。
ま、とにかく言うほどに働いたのか?
26歳で夭逝・・なぬ? そこにかつて自分が焦がれた理想を重ねるだに、
「ああ、やっぱりたとえどんなにすばらしい歌がどんどん生まれてこようが、そんなもんになんなくてよかった」
と安どする自分がいる。
嫉妬とか自嘲ではなく。
今を生きる26歳はもっと懸命だろう。
たいがいにせい、とも言いたくなる。
啄木はなかなかのたらしだったとも聞く。
竹久夢二しかり、
太宰治しかり、
その方面だったらいくらでも顔ぶれを集められるだろう。
今はあまり聞かなくなったが、その昔「文弱」なる言葉があった。
一言で言えば、瘦身長躯、蒼白い顔色で、ゴホッゴホッなんて危ない咳をしているイメージだ。
勉強はできるがスポーツはからっきし駄目。
芥川龍之介像を浮かばれればいい(が、彼がその体でするすると木に登っていく白黒フィルムを観たことがあるが、驚くほど身軽だった💦)。
こうなりゃ、三丁目の夕日の茶川竜太郎でもいい。
文弱でもいい。
陸でなしでもいい。
たくましく育ってほしい。
ではないが、ゲージツ家はどれだけ駄目であっても、人間失格であってもよい。
むしろそれくらいの方がよい。
そうして自らの人間性を栄養にして、作品の肥やしにしていくのだから。
これが私の変わらない持論である。
だから、自らわざわざその沼にはまるようなことはしない。
それが賢明なんだ。


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