お手軽な真理

2025年2月15日

雑感 真理

t f B! P L
  おかしな話である。

真理は探して得られるものではない。
まして構築されてそこに至るものでもない。

探して得られるもの
探究するもの
積み重ね、あるいは研鑽されるもの
陶冶されるもの
それらは、知識であり、物である。
知識や物、あらゆるものは消長する。
いずれ消えてなくなる幻である。
幻が真理であるべくもなく、また、その代替品ですらない。

しかし、私たちは真理を探している。
いずれそこに至れるものと思っている。
いずれは壊れることのない幸福に浸れるものと思い込んでいる。

「いずれは・・・なる」という時間の推移は
真理にはない。
それは思考の生んだ幻だ。
思考は偽装する。
思考のやることといったらいつもそうだ。

ということは、私たちが求めているものが真理ではないことは自明だ。
それは、心にぽっかり空いた隙間を埋めるための応急処置だ。
泥でも藁でも、そこに詰め込んで、急場をしのげればそれでよし。
何なら「真理」などどうでもよい。




私たちは快楽を求めている。
何か気を紛らわせる楽しみを求めている。
慰安を求めている。
空想のなかに自由を求めている。

それは自己中心的な貪欲の姿である。

その貪欲はやがて、
この世を超越したもの、
全てを包み込んでくれるような大きなもの、
偉大なもの、
崇高なもの、
清いもの、
より善いものを探り始める。

それらはすべて自己にとって都合の良い、虫が良すぎる代物ではないか。
すべて「ここ」から「そこ」へ至ろうとする思考の産物、妄想である。

貪欲の目指すところをすなわち真理という言葉に置き換えている。










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