スカンジナビア天狗考

2025年4月1日

スピリチュアル 日本

t f B! P L
 
少し気晴らしに頓狂な事象に触れてみたいと思います。
私のことですので、例によって古~いお話で恐縮ですが、世のスピリチュアリストも真っ青なあれやこれやについてです。

あなたは月刊『ムー』の名物編集長・三上丈晴さんはご存じかと思いますが、その『ムー』の創刊時の顧問も務めた方で、さらにディープな精神世界を扱う八幡書店社主・武田洋一(崇元)さんをご存じでしょうか?
八幡書店は、主に古史古伝や言霊学、古神道系といったエソテリックな方面の堅い書籍を刊行している出版社で、その世界のエンサイクロペディアといった感があります。
同氏はカウンターカルチャー華やかりしころ、おそらくは当時の既成の価値観に満足しない若者の間で、一種のカリスマ的な存在となっていました。(”本邦初の異端文化研究誌”と銘打ったオカルト雑誌『地球ロマン』などがその象徴)
私の知る限り、同氏の編纂した刊行物は非常に奥行きのある知的なバックボーンと、重厚で緻密な考察が、細大漏らさず網羅されていたように思えます。

神様ばなしや民俗学的知見の奔流

さて、その武田氏の手になる著書の中でも、とりわけ奇々怪々、読むものをして、いきなり異世界に投げ込むような”奇書”があります。
いまだに私の手元にある『神々の黙示録─謎に包まれた神さま界のベールを剥ぐ』(1980徳間書店刊)がそれです。

中身が異常に濃い『地球ロマン』と、奇書『神々の黙示録』=筆者蔵


この書は、当時神道界のアウトサイダー(傍流?)としてご活躍されていた金井南龍(故人)をもとに各方面の碩学が集まった座談会を抄録したものです。
武田氏は編集者でもあるので、末尾(付記)に挙げた秀逸な書評でも触れているように、エンタメ(読者に対する興味づけ)的な才覚もありますが、この本の内容はあくまでもハードなものであり、よって、一切アカデミーに対するおもねりはありません。だから、都市伝説的な興味本位な姿勢で読もうとしても、それ以上に予想を上回る内容の重さにあたふたするほかはありません。

一読、ある夏の昼下がり、いつの間にかうとうとと睡魔にまかせるまま居眠りをしていると、隣の畳敷きの部屋からの奇っ怪な会話が耳に入る。
どうやら発言者のそのテーマそのものが浮世離れしているのに、応答者はそれをすんなりと受け入れて、私見を交えて返す。
そんなやり取りが、白昼に隣の部屋から漏れ聞こえる。
若かりし頃、私はこの本を読了後、そんな第一印象を持ったものです。

白日夢か・・・

白山埋没、天照支配──日本の神界は書き換えられたのか?


この書の全編を通して鳴り響く主旋律には、皇家神道(天皇家)によって埋没させられていた「白山王朝(神界)」と、その主祭神・白山菊理姫(はくさんくくりひめ)の世界的な復権であり、それは菊の弁座の数からしても、天照系のそれの比ではないとか・・。
渡来系の天皇家(新羅?)が日本を占領する以前、日本にあったのが白山王朝であり、それを「竹内文献」の武内宿祢の後裔・平郡(へぐり=平郡真鳥)家が滅茶苦茶にしてしまったという。菊理姫の、「くくる」とは、「結ぶ」意であって、対立するものを接合するような極めて重要な役割を担うものであったとか・・。
このように、なかなか大っぴらになることがない「神さま界」の真相(?)を、同著では事も無げに語られている。昨今話題になることが多い、ヤタガラスや金蜘蛛軍団なども然りで、神霊好き、超古代史好きにはたまらない魅力があることだろうと思います。
特に、最近の若者(好学の士)に、このような歴史観に触れる機会が少ないため、特にお勧めしたいと思う次第です。

こころみに、同著の各章の見出しから、興味深いものを挙げてみますと・・。
  • 妖精は実在する
  • ゴッホのカラスは何を意味するか?
  • 三本足のボス烏は救世主の自家用飛行機
  • 皇家神道は八合目どまり
  • 本当の神には菊座がある
  • 輪廻転生は真っ赤な嘘
  • 魔王の配下、豊川稲荷のダキニ天
  • イキミタマ宮司との神秘問答
  • 竹内文献と新説・白山王朝
  • 霊格の高い人間ほど苦労する
  • 天皇の戦争責任は当たり前
  • 天皇家を守ってきた五十鈴(いすず)の霊的バリヤー
  • 神とのウケヒで出来た日本語
  • 女房が焼き捨てた柳田国男の遺稿
  • 中国・朝鮮の「神」と日本の「カミ」
  • なぜ大本教なのか?
  • 南龍先生も一目おく金光教祖
  • 王仁三郎にケンカを売った友清歓真
  • カインはなぜ神に嫌われたか?
  • 南龍坊や、観音様に遊んでもらう
・・・etc.

たとえば第一章では、心霊治療の上を行く五次元神霊治療「チガヘシの秘法」、カラスが行を積んでおカラスさんとよばれる霊鳥になる話、神々にもヒエラルヒアがあること、死んで魔王に魂をくり抜かれる話、スカンジナビアから日光古峰ヶ原にやってきた天狗など、私たちには閉ざされている神界の扉を開いた時、そこに現出する驚くべき世界が、主に金井南龍の口から、さも当然のように語られている。・・(『神々の黙示録』まえがきより抜粋 )

 武田氏の以上の解説が本書の一端を物語っています。

日光古峰ヶ原で天狗を救う

さて、天狗と言えば、出口王仁三郎の幼少期の体験や、稲垣足穂の『花月幻想』(『虚空を天狗と来ぬる国いくつ』)などの作品が想起される。

1898年(明治31年)3月1日、松岡芙蓉(または「天狗」と名乗ったとも)と名乗る神使に伴われて、亀岡市内の霊山高熊山の頂上近くの洞窟に一週間の霊的修行をする。その結果、喜三郎は救世主としての自覚を持つ。──Wikipedia『出口王仁三郎』より抜粋

足穂が、天狗とのただならぬ関係(?)を綴った文章も多い。

さらに、本稿での 金井南龍先生は、なんとその天狗界からある種の信頼関係を得ていたというから驚きではないか。

いずれにしても、様々な文献にこの「天狗」なる生き物が散見されるにつけ、それは捨て置けないもののようです。

そこで、少しその天狗について考察してみたい。

まず、天狗というものの素性ですが、あなたもお察しのように神の眷属(御つかい)ということのようです。

──神とは違う。神と言うのは、菊座があって、いわば五次元の存在なんです。眷属というとおカラスさんや稲荷の白虎もそうだが、天狗や竜神もそうだ。これらは広い意味でフェアリーといってもいいだろう。菊座がなく、四次元存在なんです。人間と神との中間存在と言ってもいい。
──それから皆さん、天狗というのは日本だけだと思ってらっしゃるでしょうが、これがそうじゃないんですな。地球上はおろか銀河系や宇宙にもいるんです。現に私は、日光の古峰ヶ原でスカンジナビアの天狗と会ったことがある。

(この辺りから、金井節は冴えわたり、俄然面白くなります)

──昭和36年9月28日に、群馬の妙義山で天狗界の最高裁判所長官の選挙があったんです。妙義山というのは、天狗界の裁判所でしてね、ここで有罪となった天狗は、刑務所である浅間山の噴火口に逆さ吊りにされるんです。いや、もう五、六百年も吊るされとるのもおりますよ。──中略──この選挙では、プレ天孫降臨の日本土着天狗の覚南(かくなん)天狗──大和の大台ケ原を領有しとりまして有名な猿田彦天狗はその副官です──が勝ちました。この覚南陣営の勝利については、日光古峰ヶ原をおさえている正覚(しょうかく)天狗のバックアップが大きかったので、私は行者仲間の小野寺堅氏と連れ立って、同年11月19日に古峯神社へお礼参りに出かけたんです。古峯神社の南山の頂上にある三昧(さんまい)岩です。

(同氏はそうして最寄りの鹿沼駅を下車、バスで神社に近付くにつれ天狗バヤシが聞こえてきたそう。なんでも神仙の前では事前に先方の都合を確認する、人間界で言うアポどりが重要らしく、それに則っての詣でらしい。
鳥居前に付くと、そこで身体の不自由なおじさんが竹ぼうきをもって掃除をしていた。この方がイキミタマであって、互いに印を切って挨拶を交わす。
彼が言うには「これから三昧岩にお詣りに行くんでしょう?」
そうして彼から小さな包みを渡されたという。
金井氏一行は白衣白袴に着替え、古峰ヶ原峠まで登ると、そこには小さなリュックを背にした外人が立っていた。)

さあ、この後の展開やいかに・・。

実にミステリアスなお話を端折って記載すると雑駁なものになってしまいますが、紙幅の関係上あえて言いますと、その外人とは、スカンジナビアから来た天狗であって、金井氏らの到着を待っていた。「ユー、さんまい、いわ?」「オー、イエス」 金井氏ら一行がようやくの思いで三昧岩までたどり着いたというのに、その外人は飛ぶように進む。そこで、「あの岩に登れるか?」と外人。金井氏は、さきほどのイキミタマから渡された包みの中にあった鍵とペンチを怪訝に思っていたが、まさにこのためにあったと悟る。三昧岩は有刺鉄線でぐるぐる巻きになっていたがそれをペンチでこじ開けるや、外人はトントンと頂上に登って、四方八方に挨拶してから、そこに生えていた茅(チガヤ)をむしり取って、隠れ蓑にしたという。その後の帰路、連れの小野寺氏がある崖から足を踏み外し、真っ逆さまに落下するのを食い止め、一命をとりとめたりと、外人天狗はその霊力を発揮した。

──この天狗はバイキング時代に、スカンジナビア天狗界から選ばれて、日本の古峰ヶ原天狗界に身を寄せ、ずっと待っていたんです。それこそ千載一遇のチャンスで1961年11月19日に私と会って、チガヤを故郷スカンジナビアの高天原へ持って帰るという任務を立派に果たすことができた。

──チガヤというのはイネ科の多年生植物ですが、薬草として昔から重用されてきたもので、ふつう白茅、千茅という漢字が当てられているが、霊芝(チガヤ)と言ってもいい。霊的には隠れ蓑の材料になるんです。神界も、現体制では、埋没した太古の神々は、ご用のとき、おしのびで蓑をお召しになるんです。これはね、石器時代以前からの神様である剣姫さまが蓑を着ていらっしゃるお姿をすでに拝見しておりましたのでわかったのですが。まあ、スカンジナビアの神々も、ゲルマン文化の侵入とキリスト教のダブルパンチを受けておりますし、さらに巨神(=ソ連)軍との勝利なき戦争でも、あのチガヤで一息付けたのでしょう。

──天狗には不老不死の永久生命があるんで、神といえども光によって天狗をひざまずかせることができるだけです。ただ苦手なものがある。魔王です。魔王自身がその気になりさえすれば、天狗を一瞬にして撃ち砕き塵にしてしまうことができる。地上のモノはすべて魔王の管轄下にあるわけで神の眷属である天狗が勝手に採れば、えらいことです。だから私と会ったのは千載一遇のチャンスなんです。
武田 先生には、天狗を魔界から護る力があるわけですね。
──ハァ、その秘儀はちょっと言えませんが、私が世界中の天狗たちの信頼を得ているのは、そのためなんです。


ところで、本書でもどこかに記載されていたと思いますが、「神さまに見込まれると、この世ではよろしく辛酸をなめることになる」という話はよく耳にします。

これを、宗教で言う「御験し」と言っては軽すぎることに聞こえますが、事実金井氏のその厳しい修練に明け暮れた人生と、晩年の壮絶な闘病生活という常人の限界を超えた生き様には、その是非を巡って、なにかとてつもない真理(神理?)があるように思えるのです。




付記

1;『神々の黙示録』の概要に替えて

とれど5つ星のうち3.0)
エンタテインメント本として面白い、但し真面目に読む人のために留意点
2015年9月20日に日本でレビュー済
1975年から76年にかけて、金井南龍氏主宰「神理研究会」機関誌、「さすら」誌上に掲載された座談会記事を取捨し八幡書店社主武田洋一氏が編集した1980年徳間書店刊行の書物である。
出席者は、大本や岡本天明とも交流がありスペイン語教科書執筆者としてよく知られた外大教授笠井氏、本居宣長が二千余字の古事記原典改竄をしたと糾弾した苗代清太郎の弟子でもあった國學院の米津氏、陰謀論に詳しい筑紫氏、それに修験道、神道の行者であり、文学博士、鍼灸師、神職免状取得者である金井氏である。
何れも明治以来の神道路線、国家神道、神社神道をオーソドックス、権威的とすれば異端、傍流に属する面々といわれるだろう。その分、変わった話、面妖、奇怪な話が盛り沢山であり、エンタテインメントとして良く出来ている。
当時徳間に神秘、陰謀論を得意とする編集者がいて、折からその種の本がブームの感があったが、そうした世相の下で発刊され、8万部くらい 出たと漏れ聞いているが当該編集者が徳間を去ってよりいつの間にか絶版となったようである。近頃ネット上で云々する人たちが出始め、以前100円古本で出ていたのが最近は高値本となった事情を受けてであろうか、元本である「かみさまのおはなし」も武田氏の八幡書店より覆刻されている。
評者は80年代に本書を読み、所謂神社神道常識を遙かに逸脱する言説に驚嘆し、元になった雑誌を東京神保町の古書店で求めたことがある。
本書は元本よりかなりの部分がカットされており、始めに読むべきは「かみさまのおはなし」である。
本書の刊行より既に三十五年が経過している。本書で突き出されたキーワードは、その後どうなったのだろう。こういう視点でも本書は読み解かれるべきであろう。本書で金井氏は、出口王仁三郎の「大本」は本番前の宣伝ビラ配りだと言っていた。果たして80年に神社界他に向けて新しいキーワードを掲げたご当人の歩みはその後どうだったか。太田龍氏のようにご自身の行き詰まりを打開してくれた人、本として高く評価する人もいるが、「黙示録」という名の通り本書はいろいろな予言めいた記事があり、本書を光彩あらしめている、白山、菊理姫、フトマニクシロなどなどもそうであるが、その後、行的に学的にどれだけの深化がなされたのかどうか。
文学博士号を持ち、易占、治療術にも手腕を持ち、各界に出入り出来る資格を有していた金井氏も、晩年は闘病に明け暮れ、当該項目に関する専門書、行に関しての報告書を1冊も残せなかった。そのためでもあろう、氏の名は近頃続々発刊される伊勢神宮、神社、パワースポットなどの夥しい書物のどこにも見いだせず、その歩みは見事に無かったものとされているかの様相を呈している。
当時、本書を読み、その言動を会合等で聞いたことのある、リアルタイム世代ももう50半ば~70過ぎの年齢である。その人達はネット上で発言しておらず、新し物好きの人にいささか珍重されている。もとより本書はエンタテインメント色化されているからおもしろ本としては読み方等、ご自由であるが、金井氏の所謂「埋没待機神さま」がおられると感じ、その神意を受けうる体質気質運命の方が、本書をひもとく場合にはいささかの注意留意が必要である。
何事も鵜呑みにせずに、何故そうなるのか、何故この時期にそれがあり得るのか、昭和30年代に白山で埋没神を救い出す(?)道理があるのか、
昭和40年代に皇室管下のフトマニクシロの(ご当人の弁)封印剥ぎがほんとに必要だったのかどうか、本当は当事者がこれを証明すべきであったのを出来なかったのか、やる気がなかったのか、いずれにしても修験道(験を修める)行者として、詰めとしての肝心の学問的証明を欠落させてしまっているので、真剣に読む人にはそうした面で批判的な視点も必要でしょう。──以上、アマゾンカスタマーレビューより


2;スカンジナビア天狗?

つい手に取ってしまっていた天狗の土産物


最近、この手のスーベニアの類に妙に惹かれる。観光地の黄昏れた土産物屋の片隅に埃を被ったまま放置されているような、あの感覚。当然若い頃はあまりの俗っぽさにスルーしていた世界だが、それが、いまなんとなく新鮮だ。手慣れた職人さんが、量産のために、ほどほどに手を掛けた匙加減。地味に哀愁が漂う。むかしで言えば北海道のヒグマの木彫りとか、煤けたコケシ、ペナントなどがその仲間なんだろう。写真はセカストで見つけた👺。80円也でした。布製の天狗さまの袈裟(蓑?)が汚れていたので洗ってあげようとしたが、取れずにそのままにしている😆 おや、よく見ると左下表示に古峯原とあるではないか。多分持ち主は神社参拝の際に売店で本品を購入されたんだろう。古峯神社は、私もむかし一度参拝したことがあるが、まさにデカい👺の面が飾られていたりで、天狗一色の大きなお宮さんだった。この品に惹かれたのは、もちろんアタマの隅に金井さんのスカンジナビア天狗があったからに違いない。



※同著は絶版ですが、アマゾンなどを通して古本が手に入るようです。ただし、7,8千円もの高値がついているのが残念ですが、この方面にご興味のある方はおもとめになる価値はありそうです。


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