あなたに参考になるものは何もない

2025年4月16日

真理 問題

t f B! P L

 

あなたに参考になるものはなにもない。
何のためにそれを参考にして、そしてまたどこへ行くのだろうか?
あるいは何かの完成のためにその参考を貼り付けて巨大なハリボテをつくろうというのか?
参考に倣い、物真似の生を生きるのか?
参考を参考として机の傍らに置いて腐らせるのだろうか。

それを何の足しにするのか?
何の肥やしにするのか?
何に資するのか?

あなたのため、
と言うのであればそれは無意味だ。
なぜならあなたはいないからだ。
あなたがあなたと呼んでいるその存在はあなたのものではない。
あなたがあなたのハンカチ、眼鏡、家、などと呼んでいるもの同様、
それらはあなたが勝手にあなたのものだと決めているだけに過ぎない。

アメリカ大陸を発見したコロンブスが、
発見したと同時に自分の領土と見做すような病的なくらいのエゴイズム。
あなたの一切のものが労力や財力、暴力、手練手管と引き換えに手に入れたものであっても、
だからと言ってそれがあなたのものではあり得ない。

伝統や風土、血脈など環境によって産み落とされ、赤ん坊の時からさまざまに条件づけられてきたその存在が、自我という明白で、しかも実体のないものをはぐくみ、しきりに自己を主張する。





条件付けられたものには実体がない。
その条件の一つを取り去ると、片膝をつき、
もう一つを取ると、もう片膝を地面につき、
すべてを取り去ると、それはどこにも存在しない。

それがあなただ。
いや、それをあなたと言っていいのだろうか?
それは、やがて朽ちて世の隅に追いやられたり
機能不全になって死んでゆく。
そんなものをあなたは自分だと主張するのだろうか?

若い時分は色男色女であったとしても、
しかし老いてしぼんで哀れな余生を趣味に生きます?
あなたはそんなものに満足できるのだろうか?
それが果たして人の生なんだろうか?
それは「要らない付録」と同じではないか?
おかしくはないか?

あなたが参考にしてきたものは、そんな木偶に対してのものだ。
決してあなた自身にではない。
資格や免許、一般常識、教養、ニュース、どうでもいい情報、世界情勢、流行りの哲学書、流行りの音楽、メインストリームでの脚光、
それらがもたらす高揚した気分、感慨。
・・で、おしまいではないか?

この世界のメインストリームは汚濁である。
そこからはじき出されることを恐れる
それは清浄を忌む姿勢だ。
自らの自我を養い、肥え太らせ、満たし、
すべての栄養をそれに分け与える。
それは、さながら貪欲な魔王に自身を捧げるような行為だ。



ともに探索してみましょう。

今宵もご訪問ありがとうございます。
ここであらためて確認いたします。
それは、私はこのブログで何かたいそうな主張をしたり、結論を出そうというのではないということです。
私は哲学や宗教、心理学などにあまり高い価値を置きません。
むしろ、それらが大いに人類の精神的な(順当な)発展の枷杭(かせぐい)になってきたと見ます。
ですから、当然多くの偉い方々や勘違いされている方々の提唱される「○○論」だとかいう概念遊戯を否定します。
どんな崇高で高邁なものであってもです。
いかに最新の理論であってもです。

しかしながら、ご存じのように、あなたがこれまでに何かのよすがとされてきたものはみなそうした類でしょう。
すべて人間が考え出した知恵か叡智の賜物です。
しかし、知恵や叡智にすら私たちのあるべき「自由」は見出せません。
所詮は「思考」の産物です。
人間の「思考」というものには制限がある上に、それは狡猾で、どんな偉大なものにまでも化けることができるからです。

あなたも、そして私もいまだ知らない、いまだかつて経験したことがない世界(処女地)にこそそれはあります。
(巷間で語られつくしたものにどうして力があるのでしょうか? それは腐敗しています)

私は、そうした世界を探索しています。
未知の世界をAだ、Bだというのは自由だし、一見嘘を言ってもバレない風に思われます。
しかし、そこには厳然とした秩序があります。

そうした世界が、現今のこの世界を大いに受容(肯定)した先に拓けるというのであれば、美しいお話です。
しかし、残念ながらそれはこの世界の全否定の上に成り立ちます。
あなたは、「否定」という言葉のニュアンスにネガティブなそれを想起されますか?
構いません。
ただこう言いましょう。
この世界がネガティブな力で出来ているとすれば、果たしてあなたはそれを否定しないでしょうか?

私の言葉は奇異で、否定的で、ぶしつけに聞こえるかもしれません。
だれに対して発している言葉であるのかさえ定かではありません。
おそらくは、無自覚にでさえ旧套を良しとするその意識に対するものでしょう。

私の断定口調に惑わされないでください。
未知の世界を望見するには、この現実世界の不条理を伐採して、その藪を取っ払わなければならないのですから。

あなたも同意されることを期待しますが、
仮にこれまで数百万年にわたって継続してきた人類史が、盤石で、もはや修正の必要もないほどの美しく慈愛に満ち満ちたものであるのならば、ここにきて何をかいわんやです。

この戦争と紛争、家庭争議、対人のいざこざ、誹謗中傷、暴力、殺人、強姦、窃盗、ののしり合い、冷酷、残虐、ジェノサイドの絶えない人類史がです。

そうした悪党の闇の意識のはるか先に春の日差しのような温かいまごころ、やさしさ、思いやりといった善の意識もまた寄り添って、大きな人類意識を成しています。

その叫びや、呼びかけ、懇願が届かないでしょうか?
あなたも私も否応なしにその「人類意識」なのですから。

ともに探索していきましょう。
それが、私たちの行動原理です。
正解、不正解、良い、悪いではありません。








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