人は自ら同じことにまとわりついている ということに気づかないうちは生涯同じことにまとわりついている

2025年6月10日

雑感

t f B! P L





「思考」は稀代の詐欺師か?』より

だからかどーだか知らんが、彼も、またそこの彼も、彼女も気づいているのだろうか?
ぞっとするほど変わり映えのしないそのメッセージに・・。
それは、限られた函の中の水泳に似ている。
往ってはターンして、また戻り、また往っては・・。


それはサティの楽曲のように眠りを誘う。
なぜなら、同じことの繰り返しであり、
同じことの繰り返しであることで、彼は安心を得ているからだ。
いかにその主張が鋭いものであっても、私はそんな安心に居心地の悪さを覚える。
所詮狭い函の中のリンゴの鑑定には興味がない。

すべては偏執狂的だ。

自らそうとは気づかずに、そこにある概念を膨らませている。
それを日夜吸い込み、いつの間にか彼は巨大な思想になっている。
その中身は安心の育んだ、自身に居心地の良いものだ。
そうして、おためごかしにメッセージを振りまく。

それに彼自身気づいていないことだろう。
自らの心中に潜むそんな怪物に。
心底彼は自らを善良と思い込んでいるからだ。
彼は確かに良かれという信念で、その教義を垂れる。

それが百歩譲って世界を救うほどのものであっても、
私はちっともなびかない。
なぜなら、その「世界を救う思想」は、決して世界を救うのではなく、
彼はそれで世界を支配したいからだ。

私が(著名人であろうが)大方の本を読まないのはそうしたことからだ。
尊大だからではなく、その反対である。
子供にとっては、昨日と同じ景色ほどつまらないものはないからだ。
繰り返しは、彼には説教にしか見えない。

どうして世界の欺瞞をえぐるそのノミで自らの眼をえぐらない?
どうして衆生を救うなどという傲慢に恥じ入らない?
それは、ただ熱病のように同じことに執着し、
その執着を正当化し、それ以外を激しく攻撃している。





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