袖振り合うも他生の縁、嫌よ嫌よも好きのうち

2026年5月20日

雑感 身辺雑記

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 ついでに言っちゃーなんだが、

痘痕も靨《あばたもえくぼ》っちゃーひでー喩えではござんすな、旦那。

 痘痕「痘痕」は、かつて世界的に恐れられた感染症である天然痘(痘瘡)が治った後に顔や体に残る小さなくぼみ(あばた)を指します。転じて、建築用語の「豆板(コンクリートの表面の凹凸)」や、ことわざの「痘痕も靨(あばたもえくぼ)」などの表現でも使われます。日常でよく使われる主な意味と表現は以下の通りです。1. ことわざ「痘痕も靨(あばたもえくぼ)」「愛する人の欠点は長所に見える」という意味の慣用句です。痘痕:天然痘の跡で、皮膚に残るブツブツとした小さなくぼみ。靨(えくぼ):笑ったときに頬などにできるくぼみ。どんなに醜いとされるあばたでさえも、惚れた目で見れば愛らしいえくぼのように見えてしまうという人間の心理を表しています。2. 医学的な意味(瘢痕・クレーター)皮膚の深い部分にまでダメージが及ぶと、治癒した後に凸凹した痕(瘢痕・はんこん)が残ります。天然痘の跡を指すのが本来の意味ですが、現在ではニキビ跡などが残った状態(クレーター肌)を表現する際にも用いられることがあります。3. 建築・コンクリート用語建築や土木の世界では、硬化したコンクリートの表面に砂利などが露出し、小さな穴や凹凸ができてしまった欠陥状態を「あばた(痘痕)」と呼ぶことがあります。4. 類語・関連する言葉いも:痘痕の別名。クレーター:ニキビや水疱瘡などの跡で、皮膚の表面が削られたようにくぼんだ状態。瘢痕(はんこん):ケガや炎症などが治った後にできる組織の跡。────Geminiによる 

こんなに詳しく説明する意義も意味もないのだが、それにしても酷い。

痘痕というのは感染症の天然痘というおっそろしー病を指す。

天然痘跡が残る足利義輝の肖像
Wikipedia
義輝以外にも、有名どころでは伊達政宗が右目を失明したのも天然痘のせいだという。

また、源実朝、足利義輝、豊臣秀頼、吉田松陰、夏目漱石らは、顔に瘢痕(あばた)を残したそうだ。

それが直った後を「いも」っていうあたり(上記4の説明)、完全に差別じゃーござんせんか。

わたしなんぞも、 思春期のニキビ華やかしき名残が顔にあばた状にあるが、ま、いくら靨(えくぼ)を作って微笑んでみても、それは不気味さ以外残さない💦


似たようなひどい喩えに、

狆クシャ《チンクシャ》がある。

噺家・立花家喬之助
芸名チンクシャ

 ↑どっかで見たことあるおばちゃんだなあ

ちんくしゃ「ちんくしゃ(狆くしゃ)」とは、鼻が低く顔のパーツが中央にキュッと集まった、くしゃっとした顔のことです。日本の小型犬である「狆(ちん)」がくしゃみをしたような顔、あるいは狆のような顔立ち が由来とされています。主な意味: 滑稽な顔や不美人を形容する言葉使われ方: 昭和時代の少女漫画や日常会話などで、愛嬌のある顔や、少し潰れたような顔立ちを表現する際に用いられていました。────Geminiによる

あの犬の狆がクシャミしたらどーなるのさ。

そーなるんだろうな、これが。


とかなんとか、本題から逸れた「前ぶり」が長い悪い癖が復活の兆しを見せ始めた今日この頃、ですが、、、要はSNSというものが性に合わないんですね、ぼく。

え?

何それ?  

まったく脈絡ないじゃない?

はい、ないです。

なぜなら、

袖振り合うも他生の縁

とか申します。

つまり、袖がふりあっただけなのに、なんだかそこにあるセクショナリズムっていうんでしょうか、


「ぼくたちは○○好きな仲間だよね、あいつらとはちがうんだよね」

「なにしろ僕たちは一般の人が知らない○○を知ってるからね~」


みたいな安直な仲間意識、

もたれあい。

それが生理的にだめなんですわ。

(私も以前はフェイスブックか何かでいわゆる同好の士を集ってやり取りしたいなあ、という気持ちもあったものだが、まずグループは崩壊するでしょうな)

で、その中で「いいね」

とか、馴れ合い的に投げ合っても意味がない。

っていうか、いったいどんな意味があるんだろうか?


noteといういわばSNSを続けて3年余になるが、どーしてもそういうのがイヤだった。

だから、さしてフォロワーもいないし、作ってもいなかった。

noteには「スキ」というのがあるわけだが、私はこれまたそれが嫌いだった。

スキが嫌いなのである🙄

いやいや、それをわざわざ恐縮にもいただいて悪い気はしないし、嬉しいものだ。

ただ、こうは言えないだろうか?

何か特定の記事なり詩なりMUSICなりを「スキ」としよう。

ということは、それ以外はそれほどスキではないか、もしくはどーでもいい、果ては嫌いということにはならんだろうか?

なる。

なるに違いない。


つまり、「スキ」とすることで、世界(ラブリーワールド=選り好み)をそこに作ったことになる。

noteに自己流言霊論でその辺を書いたが、要は言霊の呪縛を放ったことになる。

まして、(私を含めて)同じ人間の作品にしても、良い時と悪い時、どちらでもない時、とその出来栄えにばらつきもある。

すべてが等しく「スキ」ということは、まず成立しないだろう。



まあ、そんなカンダでもうめんどくさいので、noteもやめっぺかな、と考えていたところ、あれ? 待てよ、なんか読むものがない、ということに気が付いたのである。

前に書いたように、このところ数十年間というもの、他人様の文章を読むことよりも、自分の思考をまとめるのに忙しく、ろくに文章、書物なるものを読んでいなかったのだ。

そうか、私が「フォロー」していないから「フォロワー」として読む方の作品が出てこないではないか、ワハハ(じゃなくって💦)。

で、改めて自分の好みの方々を探して、数人ではあるがフォローして、それをたて続けに読んでみたところ、

「いや~、凄いじゃないか。俺なんかよりもよっぽど書ける方々がぎょうさんいてはる(←なぜか大阪弁)じゃないかい!」「上等じゃないかい!」

という事実に、気が付いたことも書きました。

上には上がいるんです。

と同時に、私のフォロー、あるいはスキの認識も変わったのです。


まずは、それに責任を持つこと。

とことん付き合ったりまっせー。

作品ではなく、その作者を好きになってしまうという風に変わってみたんですな。

これをお読みのフォロワーさん、よって命尽きるまでしつこくやってゆく所存ですので、何分よろしくお願い申し上げ候。


「スキ スキ スキスキ スキ スキ スキスキ スキ スキ スキスキ スキ スキ スキスキ あっ子ちゃん あっ子ちゃん・・」

はい、よいと🫵






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